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卵のおじちゃんの話

今回は少し農業とは関係のない話を書きます。
春はとても忙しくて、ずっとこの事を書いておきたいと夫婦二人とも考えていたのですが、なかなか時間が取れませんでした。僕らの思い出話でしかない話だと思うので、農業の話とは違って申し訳ないのですが。

こうして農園日誌に書くことも迷ったのですが、でもこうして書くことで、こんな方があらい農園の後ろにいたということを誰かに知っておいてもらいたくて、おじちゃんが生きていたことを残しておきたくて、1号(夫)の後に少しだけ2号(妻)も書きました。農業に全く関係のない、夫婦合作の農園日誌です!

もう2ヶ月以上前の話になるのですが。
ちょうど桜がきれいな頃に、僕たち家族をいつも気に掛けてくれていた同じ集落の方が突然この世から去っていきました。
その方は林業をされていて、ある日山に入ってそのまま帰らぬ人になりました。木が頭に落ちてきたとの事でした。突然の別れに、しばらく現実の事と感じられない日々が続いていました。
コロナの影響もあって、本来ならばきっとお葬式にはたくさんの人が別れを偲びに来たのに、それも叶わず家族葬になりました。賑やかな事が好きな人だったので、大勢でのお葬式が出来なかったのは、とても寂しかったです。
でも時間とともに少しずつ、寂しさにも慣れてきたようにも思います。

僕たちが京北黒田に来て4年と少しになりますが、最初の頃からずっと、お借りしていた家の事から、地域との関わりや、仕事の事まで色んな事を気に掛けてもらっていました。
地域の人気者で、みんなから「こうちゃん」と親しみを込めて呼ばれていました。気さくで冗談が好きで優しかったです。思えば、人の悪口は言わない人でした。
本当によく家にも来てくれて、用事をしてくれる事もあれば、雑談をする事も多かったです。卵や牛乳、貰い物のお菓子や果物や魚やお肉など色んな物をよく頂きました。ムスメを授かる前には「精をつけなあかん」とよくにんにく味噌を持ってきてくれたりもしました。

僕らは幸いにも田舎と呼ばれる地域で、うまく人間関係を築けて今に至っているのですが、それは地域の方々のお力添えがあったからです。その中でも、こうちゃんの存在は大きかったと思います。僕らは黒田の人は親切な人が多いと思っているのですが、それは事実として、でも実はそのイメージの大半は何人かのよく関わりのある人たちの存在が大きいんじゃないかと思うこともあります。
こうちゃんはまさにその代表で、田舎の人の温かいイメージ。よく家にやってきて、冗談言いながら雑談をして、家の事や色んな事も相談に乗ってくれるし、食べ物も持ってきてくれる、困った時には助けてくれる。そんな存在でした。
3号(娘・はな)の事もとても可愛がってくれて、もう少し成長を一緒に見て欲しかったなと思います。

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1号(夫)は仕事の面でよくお世話になりました。軽トラが溝に落ちた時にはクレーンで吊り上げてもらったり、保冷庫やコンバインをトラックで運んでもらったり。使わなくなったチェーンソーももらいました!形見のつもりで大切に使いたいです。
少し前には、サツマイモ貯蔵用のトラックコンテナをわざわざ奈良まで一緒に取りにいってもらいました。こうちゃんのトラックは木材をたくさん積むために、ユニックというクレーンが付いた大きいトラックで、大抵のものは吊り上げて載せる事ができたので、何か事あるごとにお願いをしていました。
その奈良への道中、色んな話をした中で印象に残る言葉がありました。
「自分も新しい場所に行った時とかに、心やすくしてもらった。だから新しく来た人には心やすくしようと思ってるんや。」
心やすく、という言葉が特に印象的でした。本当に心やすくしてもらったなと思います。
よそから移住して来た人にとって、心やすく接してくれる人の存在は本当に大きいです。それをしてもらって、今の僕らがあるのだと思います。そうしてしてもらった恩は、今度は自分たちが、今後新たに黒田に住む人に、心やすく接していく事でかえしていきたいです。

こうちゃんが心やすくしてくれた事で、僕たちは黒田の事が好きになったし、こうちゃんの他にも僕たちに本当に良くしてくれる方がたくさんいます。そんな人たちが大切にする黒田を、僕たちも同じように大切にしていきたいと思うようになりました。きっと、田舎はそうやって想いを紡ぎながら、大切に守られてきたんじゃないかと思います。そしてその想いの積み重ねの中に、僕たちもこれから色んな想いを重ねていくのだと思います。

田舎に住んでいると、関わりのある人がどうしても高齢になります。なので、お別れをする事がとても増えました。
悲しくて泣くような別れも何度かありますが、でもそんな別れがあるというのは、それだけ大切で感謝の気持ちを持てたという事かもしれません。それは幸せでもあるのかなとも思います。
亡くなられた方の想いを背負って、大切にしたいものが増えるというのはきっと幸せな事なんじゃないかと思います。

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1号とだいたい思いは共通なのですが、私(2号)の思いも少し。

こうちゃんは本当に気さくな人で、私にとって初対面の頃からなんの気兼ねもなく、喋れる人でした。冗談も言い合えるし、突っ込んだりもできる、親以上に歳が離れているとは思えない気安さで話せる人でした。時々、こうちゃんは私が今まで生きてきた倍以上生きている…と確認して、不思議な気持ちになるくらい。何かあれば、とりあえずこうちゃんに聞いてみて、と気軽に相談して、何度も助けてもらいました。
たくさんお世話になったのですが、私の心に一番残っているのは、こうちゃんが家に来てくれて、畑に来てくれて、ただただ喋っていた時間です。お喋りすぎて、話が長ーくなることも多かったのですが、色々喋って笑って、そんな時間が心地よくて、今までの街での自分の生活にはない時間でした。
山があって川があって、空気も気持ちよくて、自然の豊かさもとても魅力的なのですが、私が思い描いていた田舎暮らし、人と人との繋がりの豊かさを、こうちゃんは特に感じさせてくれる人でした。何気ないお喋りをして、何かあれば相談できる、家族じゃないけど、家族みたい。そんな関係の心地よさを感じさせてくれました。今、黒田での生活、田舎暮らし、いいよー!と大きな声で言いたくなるのはこうちゃんのおかげによるところが大きいです。

1号も書いているのですが、今、私たちの周りは高齢の方が多いです。
その中で、去年は元気に自転車に乗ってたおじいちゃんが今年はいなかったり、畑でよく話していたおばあちゃんも、冬になって最近会わないなぁと思っていたら、春にはいなくなっちゃったり。別れを経験する中で、ある程度覚悟はできてきて、高齢化の進む田舎で暮らす者の定めだなぁと、みんなを見送っていくんだなぁと思うようになりました。今あるこの景色が来年も一緒とは限らない、今いる人と来年も同じように過ごせるとは限らないということを、黒田に来てからの4年で痛感しました。こうちゃんは、あまりにも早くて、突然で、未だに受け入れられないところがありますが。
いつかは別れがくるという実感があるので、“今”の貴重さを泣きたくなるくらい感じることがあります。それは今、周りの人たちに恵まれて、ふとした時に幸せだなぁと思える生活ができているからなのかもしれません。だからこそ、今、この大事な人たちがいるこの時間を大切にしたいなと強く思うようになりました。日々の生活の中でバタバタと、こなすことや段取りを考えがちなのですが、何気ない時間を大切に、そんな心の余裕を持って、過ごしていけたらなと思います。大事な時間を心に刻み込んでいきたいです。

こうちゃんはいなくなっちゃいましたが、家で出荷の準備をしている時、畑で作業をしている時、「頑張っとんなぁ~」と言いながら、ジュースを持ってふらっとまた来てくれるんじゃないかと思ったりします。こうしてきっと心の中にずっといるんだろうなぁと思うと、悲しい別れが多いのは、それだけ心の中に大事な人が増えていくということなんだと思いました。そして、今、そんな人たちと関わりながら生きていけるのは、すごく幸せなことだと思えました。

そして今回、こうちゃんのことを2年前から研修生として来てくれた吉田くん夫婦と共有できたのは、私にとって嬉しいことでもありました。悲しいことではあるけど、こうちゃんが生きていたこと、こんな人だったね~と一緒に悲しめて、これからも一緒に思い出せる、そんな仲間がいてくれてよかったなと思います。山や川、田畑などの景色も、今ここにいる人たちの想いも、一緒に繋いでいってくれる人たちがいることは、すごく心強いです。これからどんどん大事な人との別れや環境の変化とかがあるとしても、こんな仲間たちがいることで、新しい動きが生まれたり、新しい大事な人や物、事ができてくるのかなと思えます。自分たちがおじいちゃんおばあちゃんになる頃に、どんな黒田になっているかなと、ちょっと不安な時もあるのですが、こうちゃんが、地域の人が大切にしてきた黒田を一緒に受け継いでいきたいです。

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