月別アーカイブ: 2020年7月

猿に作物を荒らされています。

2020年07月29日(水) 考えごと

なかなか梅雨が明けずに、相変わらずコロナばかりの毎日で、なんだかスッキリしない夏ですね。

あらい農園の野菜も日照不足と長雨で元気がありません。今のところ天候の影響でひどく被害を受けている事はないのですが、全然関係のない猿の被害がとてつもなく深刻です。

この1〜2ヶ月程、もうずっとずっと猿をどうしたら良いか考え続けています。

春の露地のえんどう豆をほぼ全て食べ尽くされて、今年はお届けが出来ませんでした。露地だけじゃなく、ハウスのえんどう豆も全滅でした。
今まではなかった事ですが、ビニールハウスを破いて侵入してくるようになってきて、7月はひたすらトウモロコシを食べ散らかしています。

image

もうたぶん500本以上は食べられてしまいました。と言うか、今現在までほぼ収穫できていません。

同じハウスに5回に分けて順番に収穫していく予定でしたが、1,2回目までは全滅で、今3回目の実が太ってくるのを待ってる段階です。たぶんこのままだと全滅するので、悲しいのですが、水やりもせず(潅水設備も壊された)、管理を放置しています。
そんな状況です。

image
こんな事は未だかつてありませんでした。。
今までに被害を受けた野菜をもし販売できていたら、たぶん10万円くらいにはなっているし、ビニールも張り替えるとか、収穫に至るまでに掛かった経費とか、自分たちの労働とかも含めると、、ため息ものです。

でもお金よりも何より、そこまで頑張って世話をしてきたその時間とか気持ちが、全て無駄になってしまったのが悔しいです。
トウモロコシの栽培はあまり得意ではないのですが、美味しいものをたくさん作りたいと思いますし、楽しみにしてくれているお客さんも多いです。肥料はうちが購入している中で一番高い、甘みが増すであろう肥料を使っています。
他の作物よりもちょっとだけ思いが強いのです。

その手間も時間も思いも、全て猿が適当に食べ散らかして、皮を剥くだけとか、一口かじるだけで投げ捨てるとか、そんな事をされております。

ビニールの穴も何箇所も開けて、おまけに食べた後のトウモロコシのゴミをハウスの屋根の上に捨てていきます。人の神経を逆撫でするように。

image

どうですか!?この猿の行動は!

許せますか!?

どうしたらいいかを最近ずっと考えています。

たぶんトウモロコシがあるから、隣のトマトの被害はまだ少なくて済んでいます。(もちろん侵入して、食べられる事はありますが)

ハウスと露地は場所が離れているので、また別の猿ですが、露地の方は近所の農家さんや家庭菜園もひどく被害に遭われています。
うちもたぶんこのままだとスイカが出来たとしても全滅でしょう。
お世話になってる農家さんの黒枝豆は必ず狙われます。

どうしたら良いか?

どう考えても捕まえるしかありません。

ちなみに防御するというのは、何十万も費用が掛かって、手間も時間も掛かりますし、それで防げるかはわかりません。
これはうちだけじゃなくて、実は京北全域で今年は猿の被害がとてもひどくなっています。
今まではそんな事なかったのですが。。

なので行政も動いていて、猟友会も協力をして罠を仕掛けたり、捕獲に向けて動いています。
でも今のところ、全然捕まえる事が出来ていません。
人間があの手この手で捕獲に乗り出しても、猿一匹する捕まえられていません。
例えば、罠に掛かるように、バナナやオレンジを置いてみたとしても、怪しいのか、その周囲を木の棒で叩きながら近付くとか。。

自分でもなんとか、捕まえようと頑張ってはいますが、本当に難しいです。
少し前、もう毎日のようにトウモロコシが食べられているちょうどその頃、もう絶対に捕まえて、ありとあらゆる方法で痛めつけてやる!!

って本気で考えていました。笑
いや、今でも考えてはいるのですが。(まだやってないから、批判はしないで下さい。)

でもその頃は、捕まえた後に猿に拷問をする夢を見たり、毎日毎日猿に復讐する事ばかり考えていました。

でも、やってもやっても猿は捕まりません。
今度こそは、今度こそは!と繰り返して、時間とお金も費やして、なんとか猿を捕まえてやる!と日々思っているうちに、だんだんと疲れてきました、、、。

もうこの猿との戦いの螺旋から降りよう。

(マンガ『バガボンド』より「殺し合いの螺旋から降りる」より拝借。)
なんか、猿に拷問する事ばかり考えてるのは、精神的にどうなのかと思うようになったのです。
被害額は計算すると、それはまぁまぁな額にはなるのですが、まぁ定額給付金で10万もらえたし、いっか!
て考えられたらそれで終わりです。

「結局猿の被害ってお金やろ?」
って自分に言い聞かして、
「それで毎日そんな邪悪な気持ちに支配されてるのもどうかと思う。」

みたいに逆に、変におおらかになったりも。
たぶん、もう疲れてきたんだと思います。
そんな感じで、バガボンドの主人公・宮本武蔵が「戦いの螺旋から降りろ」と囁いてくる反面、

これまた井上雄彦のバスケットボールのマンガ『スラムダンク』より、安西先生が現れて「諦めたらそこで試合終了ですよ」と囁いてきます。

試合終了という事は、つまりこの先も猿に作物荒らされ放題という事です。
そんな事あってはなりません!
なんとしてでも捕まえる!
許さん!!
頭の中はこの繰り返しです。

もう、もはや戦ってるのは自分にじゃないかと思えてきます。笑

猿も生きるために必死という意見もありますが、山にも食べ物はたくさんあると思います。たぶん人間の作る野菜の方が美味しいから、食べに来ているだけでしょう。
これはもう人間と野生動物との共存というお互いの不可侵条約を破棄して責めてきてる段階ですやん。
みたいな事を人間中心の目線で、地域の人に話をしていたら。

「猿も贅沢したいやん。人間だってそうやろ。」と。
確かに。もし美味しいトウモロコシを見つけたら、親猿は子ども猿に食べさせてやろうとするのかもしれません。人間だってそれは同じで、そういう子を想う親の気持ちは猿も人間も変わらないのかもしれない、、、。

という、戦いの螺旋から降りる派と。
これだけ頑張っても捕まえられないなんて、人間はやっぱり野生動物には敵わないなぁ。
て事は、逆に猿に作物荒らされてるのって、弱いものイジメされてるやん?!
あいつらの方が強いって事なのか。
それでいて、命がけで美味しもの奪いに来て、更にお婆さんとかに威嚇してるという事は、もうこちらも真剣勝負で、本気で捕まえにいっても文句ないやんね?
むしろ対等やんね?

という、諦めたら試合終了ですよ派と。

なにかと忙しく気持ちが揺さぶられています。

まぁたぶん気持ち的に疲れてきたのと、仕事が忙しくて体力的に疲れてるのもありますが。。
こんな風に、野生動物を捕まえるとか、拷問するとか、人によっては許し難い発言なのかもしれませんね。
僕としては、これは会社のオフィスに毎晩泥棒が入ってるようなもんで、人間だったら当然警察が逮捕すべき事やと思っていて、これが動物やったら捕まえるしかない。という気持ちになっています。
人によっては残酷で冷酷な人間と見えるのかもしれません。

(以前に鹿を仕留めた内容のブログを書いた際に、見ず知らず方から、そんな事を言われたので)

でも、間違いがどうかはわかりませんが、専業で農業だけで生活している僕の本音です。

たぶん、畜産業とかでも牛や豚の飼育環境について動物愛護の観点から言うと、そんな仕事は今すぐ廃止すべきという意見もあるかと思います。

その意見もよくわかるけど、働いている人の生活もあって、、とか色々難しい。。
話それました!笑
とにかく猿は、大問題なんです。
うちはまだ若いし体力も気力もありますが、高齢の農家さんでも、お婆さんの家庭菜園でも、動物に荒らされてると一気に気力が失われると思うのです。自分だって、倒れ込むくらいにやる気がなくなります。

高齢だったら、それで離農したり、野菜作りを辞めてしまう人もあるんじゃないかって。
それはやっぱり悲しいし寂しいです。
こうやって猿が好き勝手にしているのは、過疎化と高齢化にも原因があると思うのです。

人間が少ないし、いてもお婆さんばかりだと猿は余裕で人間の野菜を奪いに来ます。
反対にもっと若い人が増えて、活気が出てきたら少しはマシになるんじゃないかと。

だから、自分だけじゃなくて他の人の畑も荒らされたくはないのです。
取り留めなく書いてしまいましたが、今はそんな事で、気持ちが猿に向きながらも、そこから派生して、なんか色んな事を考えさせられています。


卵のおじちゃんの話

2020年07月04日(土) 2号のつぶやき その他 考えごと

今回は少し農業とは関係のない話を書きます。
春はとても忙しくて、ずっとこの事を書いておきたいと夫婦二人とも考えていたのですが、なかなか時間が取れませんでした。僕らの思い出話でしかない話だと思うので、農業の話とは違って申し訳ないのですが。

こうして農園日誌に書くことも迷ったのですが、でもこうして書くことで、こんな方があらい農園の後ろにいたということを誰かに知っておいてもらいたくて、おじちゃんが生きていたことを残しておきたくて、1号(夫)の後に少しだけ2号(妻)も書きました。農業に全く関係のない、夫婦合作の農園日誌です!

もう2ヶ月以上前の話になるのですが。
ちょうど桜がきれいな頃に、僕たち家族をいつも気に掛けてくれていた同じ集落の方が突然この世から去っていきました。
その方は林業をされていて、ある日山に入ってそのまま帰らぬ人になりました。木が頭に落ちてきたとの事でした。突然の別れに、しばらく現実の事と感じられない日々が続いていました。
コロナの影響もあって、本来ならばきっとお葬式にはたくさんの人が別れを偲びに来たのに、それも叶わず家族葬になりました。賑やかな事が好きな人だったので、大勢でのお葬式が出来なかったのは、とても寂しかったです。
でも時間とともに少しずつ、寂しさにも慣れてきたようにも思います。

僕たちが京北黒田に来て4年と少しになりますが、最初の頃からずっと、お借りしていた家の事から、地域との関わりや、仕事の事まで色んな事を気に掛けてもらっていました。
地域の人気者で、みんなから「こうちゃん」と親しみを込めて呼ばれていました。気さくで冗談が好きで優しかったです。思えば、人の悪口は言わない人でした。
本当によく家にも来てくれて、用事をしてくれる事もあれば、雑談をする事も多かったです。卵や牛乳、貰い物のお菓子や果物や魚やお肉など色んな物をよく頂きました。ムスメを授かる前には「精をつけなあかん」とよくにんにく味噌を持ってきてくれたりもしました。

僕らは幸いにも田舎と呼ばれる地域で、うまく人間関係を築けて今に至っているのですが、それは地域の方々のお力添えがあったからです。その中でも、こうちゃんの存在は大きかったと思います。僕らは黒田の人は親切な人が多いと思っているのですが、それは事実として、でも実はそのイメージの大半は何人かのよく関わりのある人たちの存在が大きいんじゃないかと思うこともあります。
こうちゃんはまさにその代表で、田舎の人の温かいイメージ。よく家にやってきて、冗談言いながら雑談をして、家の事や色んな事も相談に乗ってくれるし、食べ物も持ってきてくれる、困った時には助けてくれる。そんな存在でした。
3号(娘・はな)の事もとても可愛がってくれて、もう少し成長を一緒に見て欲しかったなと思います。

image

1号(夫)は仕事の面でよくお世話になりました。軽トラが溝に落ちた時にはクレーンで吊り上げてもらったり、保冷庫やコンバインをトラックで運んでもらったり。使わなくなったチェーンソーももらいました!形見のつもりで大切に使いたいです。
少し前には、サツマイモ貯蔵用のトラックコンテナをわざわざ奈良まで一緒に取りにいってもらいました。こうちゃんのトラックは木材をたくさん積むために、ユニックというクレーンが付いた大きいトラックで、大抵のものは吊り上げて載せる事ができたので、何か事あるごとにお願いをしていました。
その奈良への道中、色んな話をした中で印象に残る言葉がありました。
「自分も新しい場所に行った時とかに、心やすくしてもらった。だから新しく来た人には心やすくしようと思ってるんや。」
心やすく、という言葉が特に印象的でした。本当に心やすくしてもらったなと思います。
よそから移住して来た人にとって、心やすく接してくれる人の存在は本当に大きいです。それをしてもらって、今の僕らがあるのだと思います。そうしてしてもらった恩は、今度は自分たちが、今後新たに黒田に住む人に、心やすく接していく事でかえしていきたいです。

こうちゃんが心やすくしてくれた事で、僕たちは黒田の事が好きになったし、こうちゃんの他にも僕たちに本当に良くしてくれる方がたくさんいます。そんな人たちが大切にする黒田を、僕たちも同じように大切にしていきたいと思うようになりました。きっと、田舎はそうやって想いを紡ぎながら、大切に守られてきたんじゃないかと思います。そしてその想いの積み重ねの中に、僕たちもこれから色んな想いを重ねていくのだと思います。

田舎に住んでいると、関わりのある人がどうしても高齢になります。なので、お別れをする事がとても増えました。
悲しくて泣くような別れも何度かありますが、でもそんな別れがあるというのは、それだけ大切で感謝の気持ちを持てたという事かもしれません。それは幸せでもあるのかなとも思います。
亡くなられた方の想いを背負って、大切にしたいものが増えるというのはきっと幸せな事なんじゃないかと思います。

image

1号とだいたい思いは共通なのですが、私(2号)の思いも少し。

こうちゃんは本当に気さくな人で、私にとって初対面の頃からなんの気兼ねもなく、喋れる人でした。冗談も言い合えるし、突っ込んだりもできる、親以上に歳が離れているとは思えない気安さで話せる人でした。時々、こうちゃんは私が今まで生きてきた倍以上生きている…と確認して、不思議な気持ちになるくらい。何かあれば、とりあえずこうちゃんに聞いてみて、と気軽に相談して、何度も助けてもらいました。
たくさんお世話になったのですが、私の心に一番残っているのは、こうちゃんが家に来てくれて、畑に来てくれて、ただただ喋っていた時間です。お喋りすぎて、話が長ーくなることも多かったのですが、色々喋って笑って、そんな時間が心地よくて、今までの街での自分の生活にはない時間でした。
山があって川があって、空気も気持ちよくて、自然の豊かさもとても魅力的なのですが、私が思い描いていた田舎暮らし、人と人との繋がりの豊かさを、こうちゃんは特に感じさせてくれる人でした。何気ないお喋りをして、何かあれば相談できる、家族じゃないけど、家族みたい。そんな関係の心地よさを感じさせてくれました。今、黒田での生活、田舎暮らし、いいよー!と大きな声で言いたくなるのはこうちゃんのおかげによるところが大きいです。

1号も書いているのですが、今、私たちの周りは高齢の方が多いです。
その中で、去年は元気に自転車に乗ってたおじいちゃんが今年はいなかったり、畑でよく話していたおばあちゃんも、冬になって最近会わないなぁと思っていたら、春にはいなくなっちゃったり。別れを経験する中で、ある程度覚悟はできてきて、高齢化の進む田舎で暮らす者の定めだなぁと、みんなを見送っていくんだなぁと思うようになりました。今あるこの景色が来年も一緒とは限らない、今いる人と来年も同じように過ごせるとは限らないということを、黒田に来てからの4年で痛感しました。こうちゃんは、あまりにも早くて、突然で、未だに受け入れられないところがありますが。
いつかは別れがくるという実感があるので、“今”の貴重さを泣きたくなるくらい感じることがあります。それは今、周りの人たちに恵まれて、ふとした時に幸せだなぁと思える生活ができているからなのかもしれません。だからこそ、今、この大事な人たちがいるこの時間を大切にしたいなと強く思うようになりました。日々の生活の中でバタバタと、こなすことや段取りを考えがちなのですが、何気ない時間を大切に、そんな心の余裕を持って、過ごしていけたらなと思います。大事な時間を心に刻み込んでいきたいです。

こうちゃんはいなくなっちゃいましたが、家で出荷の準備をしている時、畑で作業をしている時、「頑張っとんなぁ~」と言いながら、ジュースを持ってふらっとまた来てくれるんじゃないかと思ったりします。こうしてきっと心の中にずっといるんだろうなぁと思うと、悲しい別れが多いのは、それだけ心の中に大事な人が増えていくということなんだと思いました。そして、今、そんな人たちと関わりながら生きていけるのは、すごく幸せなことだと思えました。

そして今回、こうちゃんのことを2年前から研修生として来てくれた吉田くん夫婦と共有できたのは、私にとって嬉しいことでもありました。悲しいことではあるけど、こうちゃんが生きていたこと、こんな人だったね~と一緒に悲しめて、これからも一緒に思い出せる、そんな仲間がいてくれてよかったなと思います。山や川、田畑などの景色も、今ここにいる人たちの想いも、一緒に繋いでいってくれる人たちがいることは、すごく心強いです。これからどんどん大事な人との別れや環境の変化とかがあるとしても、こんな仲間たちがいることで、新しい動きが生まれたり、新しい大事な人や物、事ができてくるのかなと思えます。自分たちがおじいちゃんおばあちゃんになる頃に、どんな黒田になっているかなと、ちょっと不安な時もあるのですが、こうちゃんが、地域の人が大切にしてきた黒田を一緒に受け継いでいきたいです。

image