初めまして!
少し前にも突然出没しましたが、妻改め、新井2号です。
4月より夫、新井1号と共に農業をしています。
自己紹介が遅くなりましたが、よろしくお願いします!
先日、やっと稲刈りが終わり、
私にとって初めてのお米作りを通して感じたことを書いてみようと思います!
最初に言ってしまうと、
それはずばり、お茶碗一杯の“ごはん”を作るのに
とても長い道のりがあるのを実感したということです。
私は今まで農業はほとんど経験したことがないので、
野菜作りも初めてなのですが、お米作りは1号も初めてで、
二人とも何をしたらよいのか、わけがわからないところから始まりました。
地域の方に教えていただき、
まずは塩水選をして種にするお米を選別。
また、田んぼにするところを耕して水を張り、代掻きをする。
代掻きは土の表面を平らにして水の深さをそろえるためにするのですが、
どうやって土を平らにするのか、全くわからず…。
地域の方を見ていると鼻歌を歌いながら、時には居眠りをしながら(?!)
悠々とトラクターに乗っておられるのですが、私はどうトラクターを動かすことで土が水平になるのか、
何に気を付けて、どこを見てどうトラクターを動かせばよいかわからず、
とりあえずトラクターを走らせているうちに、
深いところはどんどん深くなり、トラクターが泥にはまりそうになり、
本当に投げ出したくなりました。
見かねた地域の方が手伝ってくれ、なんとか代掻きを終わらせ、やっと田植えに。
しかし、代掻きで土をきちんと水平にできなかったこともあり、
デコボコのところを田植え機はまっすぐ進んでくれず、
苗はガタガタに植わり、ところどころで高低差もできてしまいました。
また、田植え後も、水の管理や除草などいろいろとあるのですが、
私たちは正直なところほとんど放置状態。
それでもちゃんと大きくなってくれ、
先日、ついに稲刈りまで無事たどり着きました。
バインダーという機械で刈り取った稲の束は、可愛くて、花束のようで、収穫できた感動なのか、持つと幸せな気持ちになりました。
また、これがお米になるのかと思うと、なんだか不思議な感覚でした。
収穫はしたものの、炊き上がった“ごはん”になるまでに
ここからまだ色々な工程があるからか、どこがどうとうまく言葉にできないのですが
野菜を収穫した時とはまた違った感覚でした。
“はざかけ”をして
太陽の光と風でお米を乾燥させています。
地域の方々のきれいに
そろった“はざかけ”を見て、こういうものが出来上がると思い込んでいたのですが、
自分たちの、穂が地面すれすれ(地面についているものも)波打ったような形を見ると、稲木の組み方一つ一つに意味があるのだと痛感しました。今年は何事も経験で、失敗から学ぶことがあるというのが
二人の言い訳です…!!
この後も、稲こき(イネを茎から外す)、
もみ摺り(もみ殻を取り除き玄米にする)という作業があるようで、
その場しのぎが得意な私たちは
最近になってどうしようか…と考えている最中です。
と、長々と書いてしまいましたが、
この初めてのお米作りを通して、最初にも言ったのですが、
毎日何も考えずに食べていた“ごはん”に
こんなにたくさんの手がかかっているということを知りました。
野菜作りでもそれは感じていたのですが、
お米は作っている期間が長いからなのか、
二人とも初めてでわからない中でやってきたからなのか、
特にそう感じました。
私にとって“ごはん”は炊飯器で炊くとできるものだったのですが、
炊飯器の前のたくさんの工程を知ったことで、
お茶碗一杯の“ごはん”の重みが変わったような気がします。
米を炊いて握って(機械かな?)
海苔をまいて、袋に入れてという工程は考えていたのですが、
その前にこうしてお米を作っている人がいるんだな
(もっと機械化された稲作だと思いますが)
ということを考えるようになりました。
きっと、他の何でもそうで、物ができあがるまでには
色んな人の手がかかっているのだろうなと、
今までも頭では知っていたのですが、
お米ができる全ての工程を経験してみて、実感しました。
もっと“物”の先にあることに目を向けたいな、
そして、コンビニのおにぎりのように、機械が見えるものではなく、
作っている人がより見えるものがいいなと思いました。
ひとまず、“ごはん”になるにはもう少しかかりますが、
初めて自分で作ったお米を味わうのが、楽しみです!
最近、当たり前の事ですが一つあらためて思ったことがあります。
それは、農業の事を知らない人が多い!という事です。
まぁそれは別に悪いわけではなく、自分も林業も漁業も酪農の事も、同じ一次産業なのに全く知らないので、当然なのですが。
人と話をしていると、農業の話で「そうなんだぁ〜!」と驚かれる事が結構あるので、ちょっと秋の夜長を利用して、色々と農業についての、多くの人が知らない事を書いていこうかな、なんて思いました。
と言ってもまだ農家歴4年半ですので、知らない事だらけかもしれませんが、そんな浅い経験からの目線も含めて頑張って書いていきます!
という事で、1回目は
端境期です!読み方は「はざかいき」です。
端境期は、簡単に言うと野菜の採れなくなる時期で、地域にもよりますがだいたい秋は10月、春は3月〜4月前半頃を指します。京都ではこの時期だと思います。
なぜ少ないかと言うと、ちょうど春夏野菜と秋冬野菜の入れ替え時期に当たるからです。
あらい農園でも今はちょうど秋の端境期に入ってきており、夏に活躍したトマトやきゅうりは品薄になり、茄子やオクラも最盛期から考えると寂しくなるような収量です。
夏野菜はやはり夏の気候に合っているので、これから気温が下がって寒くなるにつれて、花もあまり咲かなくなり、たまに花が咲いて実がついても、ゆっくりしか大きくならず、あまり採れません。
反対に、冬野菜はこれからが本番になるのですが、収穫はもう少し先になります。
本当はこの10月前半頃から収穫が開始できれば良いのですが、そうするには8月の真夏に種蒔きをしなければならず、難しいのです。
理由は、野菜にはそれぞれ発芽適温と生育適温があって、冬野菜の発芽適温はわりと低いので、真夏に種蒔きをしても発芽しにくいからです。
ハウスに黒い資材を被せて、日陰にしたりと上手にすれば可能ではあるのですが。
そんな事で、今の10月というのは、ちょうど夏野菜が終わりに向かい、冬野菜もまだ出揃わない時期なので、野菜の種類が少なくなってしまいます。
ちなみにこの10月に収穫期を迎えるのは、まずはお米です!
それからサツマイモ、里芋、生姜、落花生などです。
よく収穫の秋と言われるのは、きっとお米の事を指していて、野菜は芋類の事なのかも‥と思います。
端境期とか、旬とかは、基本的には露地栽培で、気候に合わせた野菜の作り方の事を言っていると思うので、ハウスを駆使すればこの端境期はなくす事ができますし、日本列島は縦長で気候が違っているので、産地リレーをしていけば、1年中だいたいの野菜は手に入りますね!
冬にきゅうりやトマトが売られているのは、ハウス内を灯油などで温めて、温室ハウス内で栽培しているからです。
次に、秋の端境期よりも長いのが春の端境期です。
こっちは、本当に野菜がなくなります!
野菜の直売所なんかでも、野菜棚がガラガラになります。
3月、4月の端境期の原因は大きく2つあります。
1つ目は、この時期に収穫をしようと思うと、種蒔きの時期を逆算すると、例えば播種から収穫までが短い小松菜でも1、2月頃になります。
この時期は真夏と逆で、今度は気温が低すぎて発芽しませんし、したとしても寒すぎて大きくなりません。ちなみにあらい農園のある京北黒田では冬の間、畑は雪が積もって入れません!
そんな事で露地では収穫が難しいのです。
2つ目は、花が咲いてくるという問題です。
野菜も、植物なので、遺伝子を残すために、最後は花を咲かせて、種をつけて朽ちていきます。
その花が咲くのが問題で、例えば大根だったら、葉の中心部から茎みたいなのがニョキっと伸びてきますし、キャベツや白菜は、球の中心部からそれが伸びてくるので、球が割れて、そこから花が咲いていきます。
全部の野菜は花を咲かせるのですが、葉物(ほうれん草、水菜、小松菜、白菜、キャベツなど)は花が咲くと葉が硬くなったり、根菜(人参・大根・かぶなど)だとカスカスになってしまいます。
どうやら、種をつける方に養分を回すようで、そうなると食べても硬いし、美味しくないので、商品価値はなくなります。(ナバナなど、花芽を食べる野菜はこの原理で花芽がついたのを収穫します!)
この花芽がつくのが、だいたい2〜3月の時期になります。
この原因は、温度の上昇と、1日の陽の出ている時間が長くなることからなんです。
温度か陽の長さかは、作物によるのですが、だいたい春が近づくと、冬たちはいっせいに花を咲かせ始めて、農家を困らせます。。
ちなみに土手に菜の花が咲き乱れるのも、同じ原理です!
それと、気温がまだ低く、春の野菜がまだ大きくなっていないので、3月〜4月前半は特に野菜が少なくなるのです。
あらい農園のような、野菜BOXで、1年を通して野菜の種類を揃えたい農家は、この端境期をいかに乗り越えるかが、本当に頭の悩ませどころになります。。
今年はハウスをたくさんお借りできたので、頑張って種蒔きの時期をずらしたり、かぼちゃや、芋類などの保存の効く野菜を、多めに作ったりして、乗り越えようと努めています!
という感じで、端境期というのは、気候的に避けては通れないものです。
長くなりましたが、端境期の説明でした!